最高裁判所第三小法廷 平成2年(オ)1869号 判決 1991年4月02日
上告人
中澤利行
右訴訟代理人弁護士
清藤恭雄
被上告人
中澤節子
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人清藤恭雄の上告理由について
記録によれば、本件第一審判決の原本には裁判官の署名捺印があり、右判決原本に基づいて判決の言渡しがされたことが認められるのであるから、右判決の正本に裁判官の氏名の記載がないとすれば、これは右正本を作成した裁判所書記官が右記載を脱漏したものであるとした原審の判断は正当として是認することができる。
判決の正本は判決原本のとおり記載すべきものであり、判決原本との間に不一致が生じないよう注意を払うべきことはいうまでもない。しかし、右不一致があっても判決原本との同一性が認められ、右不一致が敗訴当事者の上訴に関する判断の障害となり、あるいは勝訴当事者の判決確定に関する期待を覆すこともやむを得ないとするほどに重大なものであるとはいえない場合においては、その送達をもって判決正本の送達というを妨げないのである。
これを本件についてみるのに、上告人が送達を受けた第一審判決の正本に裁判官の氏名の記載がなかったとしても、その様式に照らして本件についての第一審判決の正本であることは明らかであって、原本との同一性を認めることができ、右の記載がないことによって上告人の控訴するかどうかの判断が妨げられるものではなく、右送達の日を基準とする控訴期間の経過によって判決が確定したとの被上告人の期待を覆す程に重大な瑕疵ということもできない。そうすると、上告人は適法に第一審判決の正本の送達を受けたことになるから(最高裁昭和二四年(オ)第二七六号同二五年五月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事三号三五三頁)、右送達の日を基準とする控訴期間の経過後にされた上告人の控訴を不適当であるとした原審の判断に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎)
上告代理人清藤恭雄の上告理由
一、1.原裁判所は、上告人の原裁判所に対する平成二年七月一八日付の控訴の提起につき、約二ケ月を経た同年九月一四日、上告人の右控訴の提起は、控訴期間経過後になされたものであるから不適法であるとして、控訴を却下する旨の判決を言渡した。この間、口頭弁論を開くことはもちろん、上告人の審尋等の手続もなされなかったものである。
2.ところで、民事訴訟法第三八三条によれば、欠缺の補正が不能な不適法な控訴を却下する場合には、口頭弁論を開かないことができる旨定められているが、右規定に従い口頭弁論を開かないことが許されるのは、不適法な控訴でありかつその欠缺の補正が不能であることがいずれも明白な場合に限られるものであり、それが明白でない場合には、本来の原則に基づき、口頭弁論を開くべきであり、本件では後述のとおり、第一審における担当裁判官ないし担当書記官の証人尋問等の手続をとらなければ、不適法な控訴であるか否かが明白にならないものであり、当然、原裁判所は、口頭弁論を開き、その審理を尽くすべきであったものである。
3.しかしながら、原裁判所は、不適法な控訴であることが明白でないにもかかわらず、全く口頭弁論を開かずに、上告人の控訴を却下しているものであり、右原裁判所の審理は、訴訟手続の法令違反ないし審理不尽の違法があり、また、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は、当然、破棄されなければならないものである。
二、1.また、原判決は、上告人が、上告人に送達された第一審の判決正本には裁判官の氏名の記載がないので右判決正本の送達は無効であり、控訴期間は未だ進行していないと主張したのに対し、「本件記録によれば、原判決原本には裁判官潮見直之の署名捺印があることが明らかであるから、控訴人に送達された判決正本に裁判官の記載がないとすれば、これは右正本を作成した裁判所書記官がこれを脱漏したものと思われるが、……このような脱漏があるからといって直ちに判決正本の送達が無効であるということはできない」旨判示し、上告人の主張を排斥している。しかしながら、右は、全く根拠のない独断と予断に基づき、判断を示しているものであり、また、その判断の合理的な理由も説明も示していないものであるから、審理不尽、理由不備の違法があると言わねばならない。
2.原判決の論理は、①第一審判決の原本には裁判官の署名捺印がある、②第一審の担当裁判官は、適法な時期(すなわち第一審判決の言渡前)に判決原本に署名捺印したと思われる、③従って、上告人に送達された第一審判決の正本に裁判官の氏名の記載がないとすれば、第一審の担当書記官が脱漏したものと思われる、というものである。
しかしながら、本件においては、①上告人に送達された第一審判決の正本には裁判官の氏名の記載がない、②判決正本は、裁判所書記官が、法律の規定に基づき、職務上作成する判決原本の写であり、判決原本を正しく、忠実に写したものである、③従って、第一審の担当書記官が第一審判決の正本を作成した当時、第一審判決の原本には裁判官の署名捺印がなかったものである(すなわち、現時点において認められる裁判官の署名捺印は「判決正本」の送達後に作成されたものである)、という論理も十分に成り立ちうるものである。したがって何ら正当な根拠もなく(右を確定するためには、第一審の担当の裁判官ないし担当書記官等の証人尋問等の手続が必要と思われる)、原判決のような論理(特に右②の部分)を用いることは、全く独断と言わねばならない。
原判決の判断は、結局、裁判官と書記官のいずれかが間違いをしたとするならば、裁判官は間違いを犯すはずはないから書記官が間違いを犯したにちがいないということであるが、右のような判断は全く根拠のないものである(裁判官においても間違った判決をすることがあることは、例えば、刑事事件において、日数を超えた未決の算入を行ったり、執行猶予が法律上なしえないのに執行猶予をつけたりするような判決が、過去においてもしばしば行われていることからも明らかである)。
すなわち、原判決は、何らの証拠もないのに、「裁判所書記官がこれを脱漏したものと思われる」と事実認定しているものである。これは最早裁判ではなく、証拠に基づかない憶測にすぎないといわねばならない。
3.要するに、本件においては、前述の二つの論理がいずれも成立しうるのであるから、当然、何故、原判決のような論理をとりうるのかの合理的な根拠を示す必要があるところ(その前提としては、第一審の担当裁判官ないし担当書記官等の証人尋問等の手続が不可欠である)、原判決は、右証人尋問等の手続をしようともせず、また、何ら合理的な根拠も示さないまま、一方的に前記のような論理を採用しているものであり、原判決に審理不尽、理由不備の違法があることは明らかであり、右違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は、当然破棄されなければならないものである。
三、1.ところで、本件においてはっきりしている事実は、現在ある第一審判決の原本には担当裁判官の署名捺印があることと上告人に送達された第一審判決の正本には裁判官の氏名の記載がなかったことの二つのみであり、この二つの事実からは、左記の三つの可能性を指摘することができる。
記
(1) 第一審判決の言渡当時、判決原本に担当裁判官の署名捺印はなされていたものであり、担当書記官が判決正本を作成する際、裁判官の氏名の記載を脱漏したものである(担当書記官の誤り)。
(2) 第一審判決の言渡当時、判決原本に担当裁判官の署名捺印はなかったが、書記官への判決原本交付時までには、その補完がなされた。しかしながら、担当書記官が判決正本を作成する際、裁判官の氏名の記載を脱漏してしまったものである(担当裁判官及び担当書記官の誤り)。
(3) 第一審判決の言渡後、担当書記官に交付された判決原本には担当裁判官の署名捺印はなく、担当書記官は、忠実にその写しとしての判決正本を作成し、上告人に送達をしたものであり、現在ある第一審判決の原本上の担当裁判官の署名捺印は、その後に作成されたものである(担当裁判官の誤り)。
2.右(2)ないし(3)の事実が認められた場合、第一審判決言渡当時、判決の原本に担当裁判官の署名捺印がなかったことになるが、そのような不完全な判決の原本に基づく判決の言渡手続が無効であり、そのような判決の言渡しを前提としては控訴期間が何ら進行しないことは、明らかである(大判昭和一一年一一月二七日民集一五巻二一〇二頁参照)。
3.また、右(1)の事実が認められた場合、判決の言渡手続自体は有効となるが、誰が担当裁判官として判決を行ったかは、当事者にとって極めて重大な関心のあるところであり(特に、本件では、第一審の審理の途中で裁判官が交替をし、また、裁判官に対する忌避の申立等もなされており、最終的に誰が判決を行ったかは、一層重大な問題である)、また、裁判官の氏名の記載は、判決正本の中では本質的な記載部分の一つであり、それを欠くことは、判決正本の作成・送達の手続に重大な瑕疵があるというべく、判決正本の作成・送達の手続は無効なものと言わねばならない。この点につき、原判決は、当事者は何時でも補正を求めることができるから判決正本の送達が無効ではない旨判示しているが、訴訟当事者を無視した裁判所の側からだけの一方的な論理であり、失当である。従って、この場合も、控訴期間は未だ進行していないことになる。
4.いずれの場合においても、控訴期間は何ら進行していないものであり、上告人の控訴の提起は、適法なものであることが明らかであり、これを控訴期間経過後の不適法な控訴提起であるとして却下した原判決は当然破棄を免れないものである。
四、以上のとおり、原判決には、審理不尽、理由不備等多数の違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は当然、破棄されなければならない。